卵子売買について考えてみる
優良な種を作り出すというのはナチもやっていたけれども、不老不死と並んで普遍的な人間の欲望なんだね。モデル自体を売買対象にせず、卵子を対象にするあたりが貧乏くさくてカッコ悪い。単純な疑問として、卵子を放出したモデルはその価値を減じないのか、脱いだら終いという具合に。
中世封建時代には資本主義なんてなかったが、人の生殺まで封建領主が握り得て、剰余価値を無制限に搾取できたことを考えると、金銭に交換可能な価値なんて実に制約だらけである。産業資本は特別剰余価値の生産によって拡大していくものであって、そんな産業が対象にしうる限定された価値のみを資本主義は拡大する(と言い切ってしまうと、なんだか労働主義っぽいなあ)。
オークションは、欲しい人が払う金額分の価値を認める資本主義の埓外のシステムだが、このシステムでしか値段を付けられない無価値商品に適用されがちだし、何よりその価値を保証しないことが特徴だ。
では、それらの事実を認めた上で、そういう商品が本当に(個人的満足以外の)何か普遍的な「価値」に繋がるのかと自問してみたくなる。絵画を所有することで、美しい子供を得ることで、働かない奴隷を多く得ることで彼らをより「良く」するか。私は三度「否」と答えるが、否でなくても何の問題もない。なぜなら、交換価値がない価値は産業資本が対象としない価値であるがゆえに搾取し切れないから。例えば、卵子が売買の対象になり得たとしても、貧しい人が美しく、あるいは賢く、生まれ付くことを避けられない。
Comments and Trackbacks